ぐだぐだ日和

ぐだぐだ日和ver.2です

人生は何部構成

人生は何部構成なんだろうか

 

今年の誕生日が来ると29歳になります。

 

29年も生きてきた実感は未だなく、昔描いていた理想の30歳にはどうやらなれそうもないね。

特に絶望してないのは、これまでの人生がそうだったから。大体いつもそう。

 

自分には未来に壮大な希望を抱きすぎる悪癖があり、

一度も挫折のないディズ⚪︎ー作品くらい希望に満ち溢れた未来をいつも想像している。

 

そんな激マブポジティブハッピーマインドを持ち合わせているけれど、未来から乖離した現実が目の前に突きつけられても特に落胆もなく受け入れられるこだわりの無さも持ち合わせているので、こうして俯瞰して見てみると歪だなあと思う。

 

 

 

前置き長いな、こういうことが書きたかったわけではないんだ。

 

先述の通り、未来に希望を抱いて生きてきた僕なわけだけれど、その希望は小学校、中学校、高校、大学、社会人と、ライフステージごとに切り替わっていった。

ただ、大学以降は全て社会人という括りになり、年収や地位によって行動の幅は増えるけれど目に見えて変わることはない。結婚や子育てを除いて。

そんな例外の一つである結婚を成し遂げたことで、ある種の終点に辿り着いたなと感じている。

 

(特に誰に配慮するわけでもないけれど誤解されるのは癪なので弁明させてもらうと、全ての人において結婚、子育てが達成すべき尊いものだとは思っていない。そもそも結婚は理想の相手と出会えた場合にすればいいし、子どもも育てる覚悟があればすればいいと思っている。ただの選択の一つだということを弁明させていただきたい。)

 

終点に辿り着いたからといって、はいじゃあ人生クリア!電源落としまーす!とはならない。

これから先も夫婦としての生活は続いていくし続けていきたい。

今の生きがいは、恥ずかしげもなく書くけれど、妻だ。

妻が毎日できる限りニコニコと笑って幸せに生きられることを極力優先して生きている。

 

ただ、それだけではいけないよなあと、ふと思った。

関係性を常に新鮮に保つには、やはり自分の好奇心を殺してはいけないんじゃないかと思っている。

出る話題や、話の聞き方は、今まで自分の中に積み重なった知識や経験の結晶体だ。

その原動力となる知的好奇心を殺しては、今あるあらゆる関係性は風化していくばかりだ。友達もいなくなり、妻も去り、家族は逝くばかり。そんな人生ごめんだ。

 

とはいえ何でもかんでも好奇心の赴くままできるわけではないので、一つずつ向き合っていきたい。

やりたいこと、知りたいことに一つずつ向き合う度、新しい一節が追加されるんだろうなあと思うと未来は明るい。

 

死の直前、人生を振り返った時、何部構成の人生になっているだろうね。楽しみだね。長生きしなければ。

 

結局タイトルのワンフレーズが書きたかっただけなんだけど、こんなに長くなってしまった。

なんで毎回同じようなことを書き殴ってしまうんだ。反省してください。読んでる皆さんがちゃんと指摘しないからここまで付け上がってしまったのだから連帯責任です。

 

よろしくお願いします()

人生は何部構成

人生は何部構成なんだろうか

 

今年の誕生日が来ると29歳になります。

 

29年も生きてきた実感は未だなく、昔描いていた理想の30歳にはどうやらなれそうもないね。

特に絶望してないのは、これまでの人生がそうだったから。大体いつもそう。

 

自分には未来に壮大な希望を抱きすぎる悪癖があり、

一度も挫折のないディズ⚪︎ー作品くらい希望に満ち溢れた未来をいつも想像している。

 

そんな激マブポジティブハッピーマインドを持ち合わせているけれど、未来から乖離した現実が目の前に突きつけられても特に落胆もなく受け入れられるこだわりの無さも持ち合わせているので、こうして俯瞰して見てみると歪だなあと思う。

 

 

 

前置き長いな、こういうことが書きたかったわけではないんだ。

 

先述の通り、未来に希望を抱いて生きてきた僕なわけだけれど、その希望は小学校、中学校、高校、大学、社会人と、ライフステージごとに切り替わっていった。

ただ、大学以降は全て社会人という括りになり、年収や地位によって行動の幅は増えるけれど目に見えて変わることはない。結婚や子育てを除いて。

そんな例外の一つである結婚を成し遂げたことで、ある種の終点に辿り着いたなと感じている。

 

(特に誰に配慮するわけでもないけれど誤解されるのは癪なので弁明させてもらうと、全ての人において結婚、子育てが達成すべき尊いものだとは思っていない。そもそも結婚は理想の相手と出会えた場合にすればいいし、子どもも育てる覚悟があればすればいいと思っている。ただの選択の一つだということを弁明させていただきたい。)

 

終点に辿り着いたからといって、はいじゃあ人生クリア!電源落としまーす!とはならない。

これから先も夫婦としての生活は続いていくし続けていきたい。

今の生きがいは、恥ずかしげもなく書くけれど、妻だ。

妻が毎日できる限りニコニコと笑って幸せに生きられることを極力優先して生きている。

 

ただ、それだけではいけないよなあと、ふと思った。

関係性を常に新鮮に保つには、やはり自分の好奇心を殺してはいけないんじゃないかと思っている。

出る話題や、話の聞き方は、今まで自分の中に積み重なった知識や経験の結晶体だ。

その原動力となる知的好奇心を殺しては、今あるあらゆる関係性は風化していくばかりだ。友達もいなくなり、妻も去り、家族は逝くばかり。そんな人生ごめんだ。

 

とはいえ何でもかんでも好奇心の赴くままできるわけではないので、一つずつ向き合っていきたい。

やりたいこと、知りたいことに一つずつ向き合う度、新しい一節が追加されるんだろうなあと思うと未来は明るい。

 

死の直前、人生を振り返った時、何部構成の人生になっているだろうね。楽しみだね。長生きしなければ。

 

結局タイトルのワンフレーズが書きたかっただけなんだけど、こんなに長くなってしまった。

なんで毎回同じようなことを書き殴ってしまうんだ。反省してください。読んでる皆さんがちゃんと指摘しないからここまで付け上がってしまったのだから連帯責任です。

 

よろしくお願いします()

東京の磁力

※改行してないから読みづらいかもしれないです

4年弱。

東京に居を構えて日本一の都会を味わった。

味わい尽くしたと言えるほど遊び回ってはいないけど、インドア人間にしてはかなり色んなところに行ったんじゃないかなと思う。

「今日祭りやるんですか?」

俗に言う田舎者のコメントだけど、本当にその通りだなと思う。

特に平日。

なんでこんな何もない日にこんなに人間が一箇所に集まるんだ…そんなの祭しかないだろ…

そういう思考回路で行き着いたのがあのコメントだと思う。理解できる。

ただ一つ言いたいのはお祭り行事がある際はその3倍近い人間が集まるので、田舎出身者はぜひハロウィンとかにスクランブル交差点に赴いてみてほしい。

自分としては出身が名古屋で、大学は大阪だったこともあり都会慣れしているつもりだった。

いや実際繁華街に関しては人口密度の違いでしかないと思うので、天と地ほど違うという感じではない、と思っている。

ただ、首都東京とその他都市で異なるのは都会の意味なんだなと思い知った。

東京以外では都会とは一箇所、もしくは複数箇所の場所が栄えていたらそこが都会になる。

その都会があることで、その県自体が都会みを帯びるんだと思う。

東京は渋谷や新宿を代表するようなターミナル以外も栄えており、各駅がそれぞれ固有の栄え方をしている。

欲望溢れる街、サブカルのメッカと揶揄される街、オタクとビジネスマンが交差する街、常に最先端を追う街…

各駅に色があって、各駅必要最低限以上インフラが整えられているからどこにいても都会の蜜が享受できる。

利便性において日本でここ以上の都市は存在しないとまで思うほどに、全てがつながっていて、

ほぼ全てが高水準な街で構成されている。

まあその分、お金は空腹の中学生男子の前に出した料理くらいのスピードでなくなっていくし、京都みたいに街ごとにランク付けされているし、見栄や知ったかを巧みに使いこなさないとやりづらかったりするところもある。

けど、そんな人間味溢れるところも魅力なんだろうなと思う。

なんか高層ビルの最上階に位置するフレンチのような雰囲気を持ちながら、昔からそこにあることが窺える床がギトギトの街中華みたいな雰囲気をもっているから、その落差にどハマりする人間も多いのだろう。ギャップは人類共通の弱点だ。

こんなこと書いていると、東京生まれ、東京育ちの東京サラブレッドみたいな人に怒られそうだけど、田舎者の戯言と流してほしい。

実際東京サラブレッドみたいな人間は、案外普通の人も多い。生まれた土地によるけど。

千代田区生まれとかだと、サイゼに行ったことない人とかがいる。普通に。怖いね。

ただ東京サラブレッドはどちらかといえば少数で、出会う人の大半はやはり東京外で生まれた、いわば田舎育ちの人間な場合がほとんど。

※東京以外を田舎という暴挙に出ていることをお許しください

そんな田舎者が大半の街だからこそ、いろんな文化が混ざってここまでの都会に育ったのだと思うと感慨深いね。

街を歩いていて、よく地元の雰囲気を感じるのはそういうのが理由だと個人的に睨んでいます。

もしかしたら逆かもしれないけどね。

だらだらとここまで書いてきたけど、みんな飽きてきてない?一回ストレッチとか挟む?とりあえず飲み物取っておいでよ。あとトイレとかも行ってくるといいよ。

さて、休憩を挟んだところでまだだらだらと続くので気合を入れてくださいね。

東京の人口の大半は田舎者だという話をしたけど、ネガティブに捉えないでほしい。

田舎者が多いからこそ、各人が地元から持ってきたカルチャーを東京の流行に混ぜ込むことで、アマゾンもびっくりの多様性を生んだんに違いないんだから。

それに地方からみんな出てきているから、知り合いが少なくて基本的に寂しいという感情の元にあらゆることが動いている。

だから東京では本当に簡単なきっかけで友達や知り合いが増える。

これは僕の運が良いことも大きく起因しているだろうけど、本当に小さな事で繋がりが生まれるのがこの都市の特徴だと思う。

そんな寂しがりの多い街だからこそ、4年弱という短い時間でも仲良くしてもらえる人ができたのはとてもありがたいことだった。

インドアな人間を根気強く外に出してくれたり、オチのない話を聞いてくれたり、面白い話をするにはという講義を開いてと無茶振りをしたりと、ほぼ介護のような関係性だったと思う。

東京で紡いだ縁は、とても切れるものではなく、血と同じ濃度の繋がりだと思う。

新卒で入った会社で、大阪採用だと聞いていたのに配属地発表で掌を返されて東京配属になった時は憎しみで担当者の襟足すら憎く見えたものだけど、今思えばこちらも楽しかったから憎しみは撤回しておこうかな。

やり残したことや、後悔が微塵もないかと言えば無論嘘にはなる。

去る前に会いたかった人はまだいるし、遊びに行きたい場所もあった。コロナとかいうfxxkin' 病のせいで全て叶えることはできなかったけど、一生叶わぬ夢となったわけではないので時間の問題だと思って片付けた。

この土地から離れることで消えてしまうものなど何もない。

この土地で作った思い出も、縁も、消えることなく人生を終える時まで心の中に輝き続ける。

そう思っています。

だからお別れの挨拶はせず、また生きて会えるように祈りを込めて「またね」と送ってください。

最後なんか急に青春小説の主人公の親友が急な引越しの際に残していった手紙の一節みたいになっちゃった。

リニアが開通したり、新幹線が半額になったり、高速料金が1/4になったら頻繁に遊びにきますね。

ならなかったらほどほどに来ます。

苦い思い出も、愉快な思い出も、全て連れて、いざ、味噌の街へ!

愛を込めて

P.S.愛を込めてって良い結びの言葉だよね。頭語は使わんけどこれは多用していきたい。

以上、これを読んだ方が心身共に健康でいられますよう。

観察という悪癖

飲食店に入った時、僕は必ずと言っていいほどカウンターを陣取る。それも正面ではなく、横がある場合は横のカウンターに。

これは僕の癖が原因している。

バックヤードやカウンター下の本来客に見られることを想定していない場所を見ることが好きという癖。

普段見られることを意識していない場所にはその店の性格が出る。と思っている。

なんか飲食店の良し悪しを判断するには、バックヤードのゴミ箱や床がいかに綺麗に保たれてるかで判断せよ!みたいなことも聞いたことあるしきっとそうなんだと思う。

でも個人的に異議を唱えるとすれば、一見乱雑で汚く見えようとも、オペレーション最適化された配置である場合は例外なのではと思う。

飲食店は味はもちろんのこと、雰囲気や、スピードも求められる厳しい戦場。

年々客は図々しくなり、ワンコインで三つ星ホテルレベルの応対を求める。調子に乗りすぎである。

そんな戦場ではいかに仕事を効率よくこなし、心に余裕を持って働くかが重要になるのではないかなと思う。

だからこそ客から見えない部分では、見え方よりも使いやすさを重視されるのだろう。

そんな見られることを意識してない部分を見た時、その店の核を覗いたような気分がする。カウンター下に貼られたメモや、店員の使うコップなど見えるとたまらなく愛おしく思う。

ここまで書いていてだいぶ歪んだ癖だなとは思ったがまあもう取り返しがつかないのでしょうがない。

この癖で留めて置けたらよかったものの、この裏側を覗く癖はこれに留まらない。

人と会話してる時に、その人が一瞬覗かせた癖や表情を捉えた時、自分の中でその人との壁が減ったように勝手に思ってしまう。

こうやって観察を続けると、その人の発言の建前と本音がなんとなくわかるようになり、会話はスムーズになったりするが、たまに暴走して勝手に脳内で会話を進めてしまい、訳の分からない返答をしてしまうことがある。完全に悪癖。

そんな異常者であるが、他人にはまだ伝わっていない。

こんな悪癖があることを他人に悟られないように今日もまたカウンター下を覗き込む。

コーヒーが美味しい。f:id:milkan1231:20211223132432j:plain

冬の北海道と酒の過ち

寒い。

毎日毎日とても寒い。

朝起きると寒い。昼は外に出るとちょっと寒い。夜はかなり寒い。

 

令和になってから天候担当になった方は新卒なのか異業種異職種からの転職だから、まだお仕事に慣れていらっしゃらないのでしょうか?

もう令和になってから3年も経ったので、そろそろお仕事に慣れてくれると助かります。

 

こういきなり寒くなると「秋、どこいった?」という話題が出がちだけど、最近気づいたんです。

もしかして秋のベース気温がいつの間にか下がっていて、我々が冬と錯覚しているだけなのでは…と。
夏は前より暑く、秋冬は前より寒く、人間が生きるのに厳しい環境になっているのではないかという説を推します。

いずれ論文を発表することがあるかもしれません。

そんなわけで、流行の感度も、気温の感度も、アップデートしていかないといけませんね。

 

などと、言うておりますが、寒い季節になると僕には思い出すことがあります。

 

それは大学4年生の卒業シーズン。

卒業旅行と称して2月の北海道を車で旅行した時のこと。

 

友人Mと友人Oとともに4泊5日くらいで札幌から帯広、釧路、網走を通って最後に旭川を通った旅行でした。

 

冬の北海道ということもあり、吹雪に見舞われたり、道が凍結していたり、鹿と並走したり、と様々なハプニングが起きましたがとても楽しい旅でした。

若さあふれる時期だからこそできる一寸先は闇のような冒険じみた旅。

 

そんな青春の1ページとも呼べる旅にはいくつも思い出がありましたが、一番覚えているのは2日目の夜、釧路に釧路に泊まった時のこと。

 

ここで登場人物の紹介を挟みます。

Mは、クールで頼れる兄貴肌。ただちょっと変なところで常軌を逸してい隠れた狂犬。

Oは、計画を緻密に立てて動く慎重派。趣味は貯金で、出費が敵の金庫番。

 

そんな2人と夜、居酒屋に向かいました。

Oは旅行だというのに、出費がこの世で最も嫌いな行為なため、北海道の海の幸を楽しめるお刺身などをじっと睨んだ後、ポテトフライと揚げ出し豆腐、枝豆を頼み、オーダーを締め切りました。

もちろんこれにはMとともに抗議をしました。

 

「せっかく海の幸や畜産物豊かな土地に来たのに、日本全国どこでも食べられるようなメニューを頼むな!もっと冒険しろ!」

 

これにOは「ジャガイモも大豆も北海道できっと生産されている。大地の恵みだから北海道を味わうということに変わりはない」と一蹴。

 

飲み物もせっかくだから好きなものを頼もうとドリンクメニューを見ていたら、勝手に飲み放題を頼む始末。お前そんな酒強くないやろがい。

当の本人は飲み放題の方がコスパがいい。元をとるまで飲むと意気込んでいます。

飲み放題で元をとれる人間など日本にそういません。考えたらわかるだろ。

 

こんなアホなことを言うO君ですが、学校での成績は優秀。大学では卒業の際に学部代表を任されるくらいだったのです。

やはり人間勉強ができるからといって賢いわけではないのだなという教訓を得ながら、酒の席は進んでいきました。

 

すると1時間も経つ頃にはOはベロベロ。

最初の財布の紐の固さは遥か彼方、金庫は全開になり、刺身やザンギ、イカソーメンなど大量に頼み始めました。

いい加減にしろ。1時間も経ってある程度お腹が膨れてきたタイミングで大量に頼んでどうする。誰が処理すると思っているんだ。お前らが残す分俺が食べることになって、その分お腹の肉層は積もっていくというのに。

 

そんなてんやわんやの飲み会も終盤に差し掛かり、Oが店員さんにダル絡みを始めたタイミングで帰路につくことに。

 

ここでOは大きな過ちを犯しました。

ここは北の大地、北海道。季節は冬。

ご想像の通り地面は凍結しています。

ベロベロに酔っている彼は千鳥足です。

もう賢い読者の皆様はご想像がつくかと思います。

 

彼は歩道を目一杯に右往左往しながら「ま、まっすぐ歩けないよ〜〜〜肩貸してよお〜〜〜〜〜」と喚き散らかしています。
そこまで酔っていないMと僕は彼を無視しながらズンズンと進みました。

すると信号に差し掛かり、点滅していたので僕とMは小走りで渡りました。
それを見たOも、「待ってよお〜〜〜〜」という情けない声をともに蛇行しながら走り出した瞬間、彼は180度回転したのです。

本当に綺麗でした。フィギュアスケートだったら芸術4.0くらいもらえたんじゃないかな。
漫画でよくある足払いで人がグルンと回るような形で彼は回転したのです。

 

幸い頭から落ちることなく、しっかりと受け身を取っていたので大事には至りませんでした。さすが元柔道部。
積み重ねた研鑽がとっさのタイミングで発揮されるのを目撃できたことと、コントのような展開に散々笑った我々はめんどくさい酔っ払いを置いてホテルに帰投しました。

 

未成年の時も旅行も楽しかったですが、旅にお酒が加わるとハプニングやインパクトの強い出来事が起こるので、成人してから旅行の方が楽しいように思います。

 

まだ旅行になかなか行きづらいご時世ではありますが、また冬の北海道に行きたいなあ。

 

冬になるとお酒がより一層美味しく飲めようになりますが、皆様はO君のようにならないよう気をつけましょうね。

狂犬Mの話はいずれします。

 

Little Fiction Diary


ここ数ヶ月、外出もせず自宅でパソコンに向かうだけの毎日を過ごしていてループしているような感覚に陥ることが多い。


毎日が同じ繰り返しだと老化が早まるという噂を耳にしたので、老化防止に日々繰り返しの毎日ではないことを自覚すべく日記をつけようと思う。



10月15日(金)

行きつけのカフェに行った。

アイスドリップを頼むと、いつも以上に口当たりが柔らかく、深煎りだけどさっぱりしていてごくごく飲める美味しいアイスコーヒーだった。


美味しいですね、というとバリスタさんが新しく豆を変えたと言う。


詳しく聞くと最近降ってくる隕石に付着しているコーヒー豆を使っているらしい。


この隕石コーヒーが流行り始めた当初はジャコウネコの糞を使ったコーヒー「コピ・ルアク」と同じように珍しいものだったので高価で中々手の出るものではなかったけれど、つい最近コーヒーノキがみっしりと群生する惑星「Bica」が超新星爆発を起こしたことがきっかけで、地球にもよく隕石として降り注いでくるようになったから価格が安定するようになってきたらしい。


大気圏を抜ける際にいい感じに焙煎されるのか、隕石に付着したものを直接利用できると聞いたときはそんな都合の良い話あるのかとも思ったけど、美味しいものに理屈などいらないよなあと思い考えないようにしている。


コロナ禍で外出をあまりしない生活になり、変わりばえのしない毎日を過ごしていたけれど、外の世界では色々と変化が起こっているんだなあと思った。


コーヒーを飲んでひと段落した後は、ジムで帰省中に増えた体重を減らすことに専念しようと思う。


飲酒解放宣言

9月30日、ついにやってきますね。

長きにわたって酒飲みたちを弾圧してきた、禁酒法時代がようやく終わりを告げようとしています。

緊急事態宣言およびまん延防止等重点措置の解除です。

 

長きにわたり外での飲酒を控えてきた人たち、収入源が大幅に減ってしまい苦境に立たされてきた飲食店、そして何より、現場を支えてきてくれた医療関係者の方々。

誠に、お疲れ様でした。

医療関係者の方々には特に感謝を。

国を挙げて労いをするべきではないだろうか…と考えています。

 

僕も無事ワクチンを2回接種し終え、今は抗体ができるのを待つばかりです。

医療崩壊まで数コンマといったところでなんとか回っているといった旨のツイートを見るたびに、「今罹患して、重症化したら助かる見込みは少ないかもしれないのか…」と思い、恐怖から引きこもりを加速させていました。

そんな毎日に一区切りがつく9月末。

みなさんどう過ごす予定でしょうか?

居酒屋、行ったりしちゃいますか。

 

居酒屋といえば飲み会を想像するのは短絡的でしょうか。すみません短絡的で。

そんな短絡的な僕は、実のところ飲み会が結構好きです。
会社の先輩と行くものも、友達と行くのも、全部まるっと好きです。

飲み会の魅力は行われるメンバー構成によっても変わりますが、どのメンバーでも共通しているのが「会話」と「料理」です。

 

飲み会の会話は9割9分9厘くだらないものです。翌日だいたい何話したか覚えてないくらいにくだらないものばかりです。

そのくだらなくて、する必要のない話がとても愛おしくて僕は好きなのです。

 

最近見た夢の話、ちょっとした失敗の話、よくないといいつつも堪えきれず吐き出してしまった愚痴や弱音、途方もなくて現実味もない夢の話。

普段無意識に抑えてしまうような些細な話。こんな話しても面白くないよなあ…と思って心にしまいこんでしまう話。

そんな話が、お酒の力が働くことで抑え込んでいた謎の力を弱体化させてポンポンと出てきてしまうあの異常な空間がとてつもなく好きなのです。

 

みんな等しく弱くて、繊細で、外には出せないようなプライドや意地の悪さを持っていることを実感できる空間はあそこ以外になかなかないよなあと思うのですがどうでしょうか。

デスゲームとかに参加させられたらそういう本性は出るかもしれませんが…

 

そんな人間の醜悪さとか弱さとか、その逆の美しさや芯の強さのようなものが入り混じった話がスパイスとなり、居酒屋メニューは格段と美味しく感じられます。

これぞ酒の肴といったところです。

 

先輩の愚痴や弱音を聞きながら飲む緑茶ハイ。

シラフでは恥ずかしくて口に出せないような未来の話をしながら飲む日本酒。

どれも格別です。

 

DJのように、話やメンバー、バイブスに合わせて、お酒やつまみをチョイスしていくのは幕の内弁当をどの順番で食べるのか?みたいなものと似ているかもしれないです。

 

ただ、そのつまみも年を重ねるにつれてチョイスするメンバー陣も顔ぶれが変わってきつつあります。

ハタチになりたての頃はもっぱら揚げ物でした。

唐揚げにハムカツ、串カツにフライドポテト。

それさえあればいくらでもお酒が飲めて、朝まで馬鹿騒ぎができました。

ただ年を重ねるとハタチの頃にはしなかったような話もするようになります。

 

例えば身体の話や保険の話。そして資産運用の話などなど…

まあそんな資産運用みたいなは高尚な話はしたことがないので嘘ですが。

 

ただ保険料とか身体の不調の話とかはちょこちょこ出たりします。

やはり関わるものや世界が広がると、それに応じて見えるものが増えるからでしょうか。

身体の話は純粋に老いですね。肌がカサつくようになったとか、ぎっくり腰やったとか、あの頃20代でするとは思わなかった話が普通に出てきます。

 

そんな気が重くなる話に、胃が重くなるようなものばかり食べていられないからか、23歳を過ぎてから居酒屋の鉄板メニューにだし巻き卵や揚げ出し豆腐、冷やしトマトなどが加わるようになりました。

個人的にはタコわさとか、なめろうがアツい布陣です。

 

正直お酒が飲めるようになったばかりの頃は、タコわさとかだし巻き卵を頼む人たちを見て「何を通ぶってるんだ、本当は別に食べたくもないくせに」とか思ったりしてました。

ええ、勘違いも甚だしいですね。若さゆえの過ちとはこのことです。

 

そんな年老いて頼むメニューが変わってしまったと嘆く会話も飲み会の鉄板のテーマでもありますが、個人的には悪くもないなあと思ったりします。

お酒が飲めるようになった頃はわからなかったビールの美味しさも、揚げ物が正義、だしを味わうメニューなんて邪道!と思って邪険に扱っていた暑揚げ豆腐も美味しく食べられるようになったのです、これはハッピーにちがいありません。

 

これから年をとるにつれて菜の花のおひたしとかも好きになっていくのかな…今存在から心底嫌いな椎茸も美味しいと感じられる日がやってくるのかな…とか思いながら、今日は居酒屋メニューを作ろうかなと思います。

最近作れるようになって旨っと思ったのは筑前煮です。
ここまで読んでくださった皆さんには、僕が美味しい筑前煮の作れる男だと覚え帰っていただければ幸いです。