ぐだぐだ日和

ぐだぐだ日和ver.2です

東京の磁力

※改行してないから読みづらいかもしれないです

4年弱。

東京に居を構えて日本一の都会を味わった。

味わい尽くしたと言えるほど遊び回ってはいないけど、インドア人間にしてはかなり色んなところに行ったんじゃないかなと思う。

「今日祭りやるんですか?」

俗に言う田舎者のコメントだけど、本当にその通りだなと思う。

特に平日。

なんでこんな何もない日にこんなに人間が一箇所に集まるんだ…そんなの祭しかないだろ…

そういう思考回路で行き着いたのがあのコメントだと思う。理解できる。

ただ一つ言いたいのはお祭り行事がある際はその3倍近い人間が集まるので、田舎出身者はぜひハロウィンとかにスクランブル交差点に赴いてみてほしい。

自分としては出身が名古屋で、大学は大阪だったこともあり都会慣れしているつもりだった。

いや実際繁華街に関しては人口密度の違いでしかないと思うので、天と地ほど違うという感じではない、と思っている。

ただ、首都東京とその他都市で異なるのは都会の意味なんだなと思い知った。

東京以外では都会とは一箇所、もしくは複数箇所の場所が栄えていたらそこが都会になる。

その都会があることで、その県自体が都会みを帯びるんだと思う。

東京は渋谷や新宿を代表するようなターミナル以外も栄えており、各駅がそれぞれ固有の栄え方をしている。

欲望溢れる街、サブカルのメッカと揶揄される街、オタクとビジネスマンが交差する街、常に最先端を追う街…

各駅に色があって、各駅必要最低限以上インフラが整えられているからどこにいても都会の蜜が享受できる。

利便性において日本でここ以上の都市は存在しないとまで思うほどに、全てがつながっていて、

ほぼ全てが高水準な街で構成されている。

まあその分、お金は空腹の中学生男子の前に出した料理くらいのスピードでなくなっていくし、京都みたいに街ごとにランク付けされているし、見栄や知ったかを巧みに使いこなさないとやりづらかったりするところもある。

けど、そんな人間味溢れるところも魅力なんだろうなと思う。

なんか高層ビルの最上階に位置するフレンチのような雰囲気を持ちながら、昔からそこにあることが窺える床がギトギトの街中華みたいな雰囲気をもっているから、その落差にどハマりする人間も多いのだろう。ギャップは人類共通の弱点だ。

こんなこと書いていると、東京生まれ、東京育ちの東京サラブレッドみたいな人に怒られそうだけど、田舎者の戯言と流してほしい。

実際東京サラブレッドみたいな人間は、案外普通の人も多い。生まれた土地によるけど。

千代田区生まれとかだと、サイゼに行ったことない人とかがいる。普通に。怖いね。

ただ東京サラブレッドはどちらかといえば少数で、出会う人の大半はやはり東京外で生まれた、いわば田舎育ちの人間な場合がほとんど。

※東京以外を田舎という暴挙に出ていることをお許しください

そんな田舎者が大半の街だからこそ、いろんな文化が混ざってここまでの都会に育ったのだと思うと感慨深いね。

街を歩いていて、よく地元の雰囲気を感じるのはそういうのが理由だと個人的に睨んでいます。

もしかしたら逆かもしれないけどね。

だらだらとここまで書いてきたけど、みんな飽きてきてない?一回ストレッチとか挟む?とりあえず飲み物取っておいでよ。あとトイレとかも行ってくるといいよ。

さて、休憩を挟んだところでまだだらだらと続くので気合を入れてくださいね。

東京の人口の大半は田舎者だという話をしたけど、ネガティブに捉えないでほしい。

田舎者が多いからこそ、各人が地元から持ってきたカルチャーを東京の流行に混ぜ込むことで、アマゾンもびっくりの多様性を生んだんに違いないんだから。

それに地方からみんな出てきているから、知り合いが少なくて基本的に寂しいという感情の元にあらゆることが動いている。

だから東京では本当に簡単なきっかけで友達や知り合いが増える。

これは僕の運が良いことも大きく起因しているだろうけど、本当に小さな事で繋がりが生まれるのがこの都市の特徴だと思う。

そんな寂しがりの多い街だからこそ、4年弱という短い時間でも仲良くしてもらえる人ができたのはとてもありがたいことだった。

インドアな人間を根気強く外に出してくれたり、オチのない話を聞いてくれたり、面白い話をするにはという講義を開いてと無茶振りをしたりと、ほぼ介護のような関係性だったと思う。

東京で紡いだ縁は、とても切れるものではなく、血と同じ濃度の繋がりだと思う。

新卒で入った会社で、大阪採用だと聞いていたのに配属地発表で掌を返されて東京配属になった時は憎しみで担当者の襟足すら憎く見えたものだけど、今思えばこちらも楽しかったから憎しみは撤回しておこうかな。

やり残したことや、後悔が微塵もないかと言えば無論嘘にはなる。

去る前に会いたかった人はまだいるし、遊びに行きたい場所もあった。コロナとかいうfxxkin' 病のせいで全て叶えることはできなかったけど、一生叶わぬ夢となったわけではないので時間の問題だと思って片付けた。

この土地から離れることで消えてしまうものなど何もない。

この土地で作った思い出も、縁も、消えることなく人生を終える時まで心の中に輝き続ける。

そう思っています。

だからお別れの挨拶はせず、また生きて会えるように祈りを込めて「またね」と送ってください。

最後なんか急に青春小説の主人公の親友が急な引越しの際に残していった手紙の一節みたいになっちゃった。

リニアが開通したり、新幹線が半額になったり、高速料金が1/4になったら頻繁に遊びにきますね。

ならなかったらほどほどに来ます。

苦い思い出も、愉快な思い出も、全て連れて、いざ、味噌の街へ!

愛を込めて

P.S.愛を込めてって良い結びの言葉だよね。頭語は使わんけどこれは多用していきたい。

以上、これを読んだ方が心身共に健康でいられますよう。