訃報
追悼の意味をこめて、煙を燻らせた。
ああ、どうかこの後からは健やかに、安らかに過ごしてくれと。
知らせが来たのは、彼女の誕生日を祝い大阪に行っていた帰り。
誕生日の次の日が仕事だったので、東京に戻っていた。
本当にこんな時まで仕事というものは付き纏ってくるから鬱陶しい。
楽しかった思い出を振り返るようにスマホを触っていたら、未読のトークが溜まっていることに気づいた。15件溜まっていた。
まあどうせラインニュースとかだろうと思っていたら、人から来ていたものが半分くらい占めていたので、
「俺がいなくてみんな不安なのかな!?」と半分調子に乗っていた。
その中のトークの一つに「ゆうた、聞いた?」という文字が見えた。
送られてきたのは2日前。
彼女と一緒にいるときはほとんどラインを開かないので、こういう風に何日か前に送られてきたものにあとで気づくということが往々にしておこる。
「何が?」と返して少しすると返事がきた。
「たくちゃんが亡くなりました。」
高校の友達がこの世から旅立った。
そう、スマホの青白い画面に表示されていた。
沸騰しそうになる血液を抑えながら、話を聞いていた。
お通夜と告別式は亡くなった翌日に行われたらしい。
話をどうやって切り上げたかはもう覚えていない。
新幹線の中でじっとしていることが出来なくなり、
煙草を吸いに行った。味がしなかった。
席に戻り、働かない頭を休ませるかのように眠った。
眠り続けて気づけば東京に着いていた。
まだ午後の業務時間まで時間があったので、
会社の近くのコンビニでお昼ご飯を買い、煙草を吸おうと思い路地に入った。
連絡を受けた直後より頭の中は落ち着いていた。
この煙草を手向けにしよう、そう思っていた。
煙草を吸いながら、色々な思い出をさかのぼった。
様々な感謝の言葉を思い浮かべ送った。
煙草を半分くらいまで吸ったところで、
猛烈な便意に襲われた。
(おいおいおい、こんなタイミングで…もう少し情緒というものを汲み取ってくれよ…)と、自分の腸に腹を立てていたところでふと思った。
たくやの照れ隠しのようなものなのか?と。
たくやはいつも明るい話やくだらない話を好んでいた。
暗い話が苦手で、どうにか話を逸らそうとするタイプだった。
きっと頭の中で浮かべていた言葉や様子を見て、辛気くせー!と言って催させたのではないかなあと思ったところで心が少しふっと軽くなった。
親しい人が亡くなると、人は日常おこる些細な出来事とその人とを結びつけて考えてしまうらしい。
きっとこれも側から見ればそうなのだろう。
ただ、俺は、俺個人としてはたくやと会話をしていたという実感を持っている。
その実感さえあればいいのだと思う。
たくやが亡くなったと聞いて1ヶ月近くが経過した。
いまだに気持ちは完全に整理することはできていない。
向き合うのが怖いのだと思う。
たくやのことを想って泣くこともまだしていない。
なんだか薄情な感じもするが、
きっとこれは焼香にいくまでちゃんと気持ちの整理はつかないままなのだと思う。
気持ちの整理はついていないが言えることは一つだけある。
後悔があまりないということ。
「あまり」というのは全くないとは言い切れないからではある。
ただ、やれることはやっていた。
最後に会ったのは2019年の春くらいだったと思う。そう思うと遠いな。
辛気くさい話が苦手なのはわかっていたので、本当にしょうもない話をしていた。
気づけば2時間以上話していた。
2時間以上話しておいてなんだけれど、
流石に身体に負担がかかるかな…と思い話を切り上げようとすると、
たくやが話を続けようとしたのでそれに乗っかる形でそこからまた1時間話していた。
昼に訪れたはずが、気づけば外は暗かった。
その日はそこで後ろ髪を引かれながらも帰ることにした。
それがたくやとの最後の思い出だ。
こう書き出してみると、なんでもないただのワンシーンだけれどよく覚えている。
たくやにはもう会うことができない。
こんなくだらない話を3時間も話すことはもうない。
それはとてもとても悲しい。
だけれど、たくやを想って立ち止まることはしない。
それはたくやの死を呪いのような鎖に変えてしまう行為だから。
たくやの死をそんな風に消化させない。
だから泣くのはまだ先だし、きっとそこからも引きずらない。
そもそも本人もそんなことをされていたら嫌がりそうだしね。
ただ、
たまにふとしたタイミングで思い出して感傷に浸るくらいは許してくれな。
じゃあまた、会う日まで。
それまで好きなことをして、元気に過ごしてくれることを祈るよ。
今世ではありがとう。