ぐだぐだ日和

ぐだぐだ日和ver.2です

人にスマホ見られてる時に予測変換に変なワードが出てくると気まずいよね

前に友達と話していた時に、予測変換の話になった。

予測変換には、その人のよく使う言葉、すなわち思考や性格が表れる、と思う。

予測変換に優しい言葉が並ぶ人はきっと優しい人だし、トゲトゲした言葉が並ぶ人はなかなか素直になれないけど優しさをうちに秘めた人なんだと思う。

 

そんなことを互いの予測変換を見ながら話していたところ、突然会話が止んだ。

どうしたのだろうと思って顔を上げると、引いた顔をしていた。ドン引きだった。

なんでだろうと思って相手の視線の先を見ると、僕のスマホにある言葉が表示されていた。
「救急車を呼んでください」………説明させてほしい。


僕は「き」の予測変換で「救急車を呼んでください」というワードが出てくるようにしている。
理由はいつぶっ倒れるかわからないから。


この予測変換を登録した当時一人暮らしをしていた。
ひとり暮らしというのは自由だ。
いつどんなことをしていても許される。何者にも縛られない時間を過ごすことができる。

 

だが自由には代償が付きまとう。


ひとり暮らしで体調を崩すと、不安・孤独・死の恐怖、あらゆるネガティブな感情に襲われる。
しかも思い過ごしじゃないこともしばしばある。
ひとり暮らしでインフルエンザになった時なんか最悪。
枯渇していく体内の水分、動かない身体、おかまいなしに上がっていく体温、食料も水分もない部屋。
そんな状況でポジティブな気持ちでいられるだろうか?

僕は無理だった。

そんな極限な状態でできることは2つ。
回復することを祈るか他者に助けを求めるか、どちらかだ。

ただそんな極限状態で状況を説明する気力も体力も残されているかというと、答えはNOと言わざるを得ない。だからこそ予測変換を利用すべきだと僕は考える。


指を左に1回動かすだけで相手に自分がいかにひっ迫した状態かを伝えることができるし、救急車、もしくは友達自身が助けに来てくれるかもしれない。
なんと賢い未来への投資だろう、そんなことを力説したものの相手にこの想いは届かず「きも」という言葉だけ残されてその場はお開きになった。

 

まあしょうがない。

世の中にはどうしても分かり合えない人はいる。
世の中にはカレーが苦手な人も、犬が苦手な人だっているのだ。
だから、いい。

自分がひとり暮らしをしていて、危機的状況に陥った時に理解するだろう。
ああ、予測変換に「救急車を呼んでください」を登録しておくべきだった…と。
そうすれば自分の命は救急隊、もしくは連絡した相手によって助け出されたのに………と後悔するのは目に見えている。

ただ、この予測変換にも穴はある。
まず第一に相手は事前に住所を知らせておかねばいけないということ。

もう一つは、突然こんなことを送られてきて、即座に対応してくれる信頼のおける友人がそもそもこの世に存在しているのか?ということ。

なんかのドッキリだと思われたり、スマホをこまめに確認しない相手だと詰みだ。
現状僕はその諸問題に対して、なんの対策もしていないので万一のことがあれば、突然こわいメッセージが送られてきて相手に怖い思いをさせるだけとなっている。

求む、打開案。