知識っておもしれ〜って話
タイトル馬鹿すぎるな。
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スーパーに食材を買い出しに行く道すがら、ふと思うことがある。
普段何気無く過ごしているこの日常、どれだけのことを意識せず生きているんだろうなあ、ということ。
例えばスーパーに食べ物が運ばれるのにどういう道を通ってくるんだろうとか、この買い物袋はどういうもので作られてるんだろうとか。
人が生み出した叡智によって生活が便利に、豊かになっていて、あらゆることを意識せずに過ごせるようになっている。
意識せずに過ごせる事で自分の時間を自分に最大限注げるようになっているけど、意識しないことでダメになってることもあるよなあとも思う。
例えばクレジットカードとか。
これは単に自分がアホなだけな気がするけれど、クレジットカードを使うとき、現金で払うときより「お金を消費した」という感覚が薄い。むしろなんか勝手に決済を終えてくれる魔法のカードくらいに思ってる節もある。
そして支払日になるとなんでこんなに引かれるんだ???もしかして不正利用!?!?と慌てる。
文字に起こすとわかるこのアホさ。
そんな感じで意識しないことでの弊害みたいなのもあるよなあとぼんやり思う。
でも弊害とかそういう損得の話じゃなくて、便利すぎて自分の意識の領域が狭くなってしまってるのがもったいないなあっていう気持ちもある。
例えば、この街は曲がりくねった道ばかりなのに、この場所だけ道路がまっすぐ続いてるのは昔射撃場がここにあったからその名残。みたいな地学的なことを知っていたら、その土地を歩きながらいろんな思いを馳せる事ができるのになあとか。
便利になることで、自分の知的好奇心が小さくなってしまっていることがなんだか悲しいなあと思う。
あらゆることに興味を持って過ごすと、日常の解像度が上がる、みたいな話を友達としていたことをふと思い出したけど、そもそもその興味をちゃんと日常から見つけられるかが大切なんですね…とその時の会話を振り返って思う。
よく考えたら便利になったから興味持てるポイントがなかなか見つからないみたいなことは、環境のせいにした言い訳なのでは………という気もしてきたので猛省ですね……
反省したので今日は久々に本屋にでも行って好奇心を磨こうと思います。